語られた渋沢敬三

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『日本釣漁技術史小考』解題 / 山口和雄

『渋沢敬三. 下』(渋沢敬三伝記編纂刊行会, 1981.08) p.217-224掲載

日本釣漁技術史小考 B6・二二六頁 角川書店 昭37・11刊

 本書は、戦前に帝国学士院が紀元二千六百年記念事業として明治前日本科学史の編纂を企画し、その一冊に日本漁業技術史をあてその執筆を日本常民文化研究所に依嘱したことに由来する。明治前日本漁業技術史をまとめるにあたって、釣漁業は敬三自らが担当し、網漁業は山口和雄、捕鯨および水産加工は伊豆川浅吉、その他の特殊漁業は宮本常一・竹内利美、漁船は桜田勝徳、製塩は楫西光速、魚肥は戸谷敏之がそれぞれ分担した。敬三が釣漁業を担当したのは大正末ごろから約一五年間ばかりよく海釣りをしたので、釣漁にとくに興味をもっていたからであろう。

 この研究は、戦時中の困難な時につづけられ、昭和一八年にその中の釣漁業・網漁業・捕鯨および特殊漁業が脱稿され、学士院に提出された。そしてそれが、日本学士院編『明治前漁業技術史』として刊行されたのは、戦後の昭和三四年のことであった。同三七年、当時病気療養中であった敬三は、この書の中から自ら執筆した釣漁業の部分をとり出して、『日本釣漁技術史小考』と題して角川書店から出版し、病気見舞を受けた人々などに贈呈した。

 この本は、四六判二二六頁程度の書物であるが、わが国の釣漁技術の発達を釣漁法・釣鉤・釣糸・テグス・釣竿・ウキ・錘・天秤・餌料の各側面から『本朝食鑑』、『河羨録』、『釣客伝』、『魚猟手引』、『嬉遊笑覧』、『日本水産捕採誌』その他各種の文献をひろく渉猟し、かつ伝承をも参考にして考察した本格的な研究である。大体の内容を知るためにその目次をみると次のとおりである。

 第一章 序説
 第二章 釣具の意義
  第一節 釣具の基本的要素
  第二節 狩猟における漁具なかんずく釣具の位置
  第三節 釣具と他の漁具との比較
 第三章 釣漁法の分類と解説
  第一節 分類の基準
  第二節 直接技能釣漁法と間接技能釣漁法
  第三節 直接技能釣漁法の分類概要
  第四節 間接技能釣漁法の分類概要
  第五節 無鉤釣と直鉤釣
  第六節 竿釣
   第一項 竿釣の細目分類
   第二項 単錘竿釣
   第三項 鉤錘竿釣
   第四項 群鉤錘竿釣
   第五項 無錘竿釣
   第六項 天秤竿釣
  第七節 手釣
   第一項 手釣の細目分類
   第二項 有錘手釣
   第三項 無錘手釣
   第四項 天秤手釣
  第八節 間接技能一本釣
  第九節 延縄釣
   第一項 延縄釣の意義と分類
   第二項 古文献に現われし延縄
 第四章 釣鉤
  第一節 鉤の本質
  第二節 基本型鉤の運用上の分類
  第三節 鉤の呼称
  第四節 鉤各部とその技術的論考
  第五節 基本型鉤の製作
   第一項 材料
   第二項 製作者
   第三項 製作地
  第六節 異型鉤の製作
  第七節 擬餌鉤
   第一項 擬餌鉤の意義と分類
   第二項 単鉤擬餌
   第三項 群鉤擬餌
  第八節 鉤の型
   第一項 鉤型の地域差
 第五章 釣糸
  第一節 釣糸の意義と呼称
  第二節 釣糸の材料とその変遷
  第三節 釣糸の製作と強化
   第一項 製作
   第二項 釣糸の強化
   第三項 セキヤマ
  第四節 釣糸の結着
  第五節 釣糸の撚り戻しおよび測長法
 第六章 テグス
  第一節 釣技術史上のテグスの地位
  第二節 樟蚕と楓蚕
  第三節 文献上テグスの来歴とその論考
  第四節 テグス種類と製法
   第一項 楓蚕テグスの用途
   第二項 楓蚕テグス種類
   第三項 楓蚕テグスの釣漁使用
   第四項 樟蚕テグスの製造
 第七章 釣竿
  第一節 釣竿の意義
  第二節 釣竿の条件と材料
  第三節 釣竿の構造と製作
 第八章 ウキ
 第九章 錘
  第一節 錘の意義
  第二節 錘の材料
  第三節 錘の形態
  第四節 錘の製作
 第十章 天秤
 第十一章 餌料
  第一節 餌料の意義と称呼
  第二節 餌料の要件
  第三節 餌料の種類
   第一項 材質による区別
   第二項 使用法による区別
   第三項 実態による区別
  第四節 餌料各説
   第一項 魚類
   第二項 エビ・カニの類
   第三項 イカの類
   第四項 貝類
   第五項 ゴカイの類
   第六項 ミミズ類
   第七項 昆虫類
   第八項 その他特殊の動物餌料
   第九項 植物性餌料ならびに練餌

 この内容を全体にわたって解説することは紙幅の関係上困難であるのでここではそのうちとくに注意すべき諸点をあげるにとどめたい。

 一 手釣・竿釣が古くから行われたことはいうまでもないが、延縄釣も古代から試みられたことは、『万葉集』『日本霊異記』『古今集』『山家集』などの記述によって明らかである。

 二 釣鉤は近世まで自製が主であったが、播州加東郡の山地の村々は幕末以来製鉤地として著名となった。

 三 擬餌鉤の発達は近世のことで、カツオの角鉤は元録年間の『本朝食鑑』に示されているのが文献記載の初見であり、アユの蚊鉤も文政年間の『嬉遊笑覧』には蚊頭として記されている。イカの餌木鉤は享保年間に薩摩で創始され、トンボ鉤もこの頃から佐渡を中心に発達したようである。

 四 釣糸として麻糸がひろく用いられるようになったのも江戸時代中期以降で、享保八年(一七二三)の『河羨録』には釣糸として麻糸があげられているが、その記述はいまだ確信をもつにいたっていない、しかし、明和年間(一七六四~七一)の『漁人道知辺』になると、漁人常用の釣糸は良質の麻を細く撚つたものがよいとされている。延縄もほぼ同じころに麻糸に転じたようで、丹後方面ではタイの延縄の糸は従来は葛藤であったが、享保年間から麻糸となつた。

 五 テグスがひろく使用されるようになったのも、江戸時代中期以降で、文献上の初見は元禄八年(一六九五)の『本朝食鑑』、その後各種の文献にみえるようになる。それは主に長崎港を通じて輸入された楓蚕を原虫とする真正のテグスであったが、嘉永安政の頃になるとわが国でも樟蚕からテグスをつくるようになった。しかし、品質がおとり、産額も少なく、結局舶来テグスに代替することはできなかった。

 六 天秤釣も江戸時代中期ごろから始まったようで、これについての享保年間の『河羨録』の記述はいまだ稚拙で、懐疑的なところがみられるが、その後の釣書の多くはこの天秤釣を真正面からとりあげている。

 右記したところからもその一端が知られるように、本書はわが国唯一の本格的な日本釣漁技術史であり、未開拓な分野に鋤を入れて多くの新しい事実と問題とを提出した研究である。 (山口和雄)

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