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国立民族学博物館
特別展「渋沢敬三記念事業 屋根裏部屋の博物館 Attic Museum」

掲載:2013年09月21日

ご挨拶(「屋根裏部屋の博物館」内覧会にて) / 渋沢雅英


「屋根裏部屋の博物館」の開会式にお招きを頂き、まことに有難うございました。

渋沢敬三没後50年をこうした形で記念していただきますことを、遺族一同 心から感謝しております。50年を経て、直接御懇意を願い、或いはご一緒に仕事をさせて頂いた方が少なくなってゆく中で、国立民族学博物館を始め、多くの研究機関でねんごろにその業績を振り返っていただいております事は本当に有り難い事でございます。

又、近藤雅樹先生が突然お亡くなりになりました事を、大変悲しく思っております。20年以上前、青森でお目にかかって以来、ひと方ならぬご厚情を頂きました。ことにここ数年間は、渋沢敬三記念事業について、足繁く東京にお越し頂き、非常なご協力を賜りました。思いもしなかったご逝去に大変驚き、ご生前のご厚情に深い感謝を捧げ、ご遺族の皆様に、心からのお悔やみを申し上げたいと思います。

渋沢敬三が亡くなりましたのは50年前の1968(昭和38)年、67歳でした。祖父渋沢栄一の死後、看病疲れで糖尿病を患った前歴はありましたが、全体としては非常に健康で、よく整理されたその旅譜は国内はもとより、全世界をカバーし、よく食べ、よく働き、よく飲んでいた敬三の生身の姿を再現しています。それがあれほど早くこの世を去るとは、本人はもとより、私どももまったく考えておりませんでした。腎臓を病んでおりましたが、透析装置すらなかった時代の事で、必要以上に早く命を落としたのは残念な事でした。

10日ほど前、東大で「もうひとつの民間学 - 知識人・文化人としての渋沢敬三」というセミナーが行われ、鶴見太郎先生が、敬三の仕事は、本人が亡くなったあとも何かの形で継続し、完結してゆくものが多いと言われました。『渋沢栄一伝記資料』、『絵巻物による日本常民生活絵引』など、多くの企画が、構想の段階から数十年を経て、本人の死後、ようやく出版にこぎ着けました。又民具の収集につきましては、戦争や敗戦と多難な時代の中で、梅棹忠夫先生を始め、皆様の格別のご尽力により、死後14年を経て、ようやく本人の希望が叶い、国立民族学博物館に収蔵される事となりました。

鶴見先生はまた、敬三が、資料を提供された方々に、深い敬意を払ってきたことを指摘されました。数百年に亘って伊豆の網元として大切に守ってこられた膨大な資料の整理編纂をお任せ頂いたのは、まだ若かった敬三に対する、大川四郎左衛門翁の友情と信頼の賜でした。

来月の敬三の命日には奥三河の「花祭」の皆さんが特に上京され、飛鳥山公園内旧渋沢庭園の青淵文庫前で、舞を見せていただける事となりました。これは、80年以上前に、土地の有力者であった原田清氏と敬三との間に生まれた格別の交情によるもので、数世代を隔てた現在の村人の方々が、みずからのご厚意で企画・実現されました。ちなみに原田氏との出会いと、「花祭」への思いが、のちに敬三の民具の収集の原動力の一つとなったと聞かされております。

思えば、50年前の10月、青山葬儀場での敬三の葬儀に際して、全国の村や町から何百という方々が、たいへんな雨の中を、わざわざ弔問においで頂きました事が、今も有り難く心に残っております。

敬三は、「南島見聞録」、「南米通信」など、内容の濃い紀行文を始め、多彩な発想と心情を伝える多くの論考や随筆、講演などを遺しました。その大部分は20年ほど前、平凡社によって刊行された『渋沢敬三著作集』全5巻に収録されております。ところが最近になって、近藤先生にもご参加を頂きました「渋沢敬三記念事業実行委員会」と「国立情報学研究所」の阿辺川武先生はじめ皆様のご協力によって、まったく新しい閲覧システムにより、そのすべてが再生される事となりました。

先日一般に公開された第1巻は、「本文検索機能」に加えて、「自動脚注表示機能」や「自動索引生成機能」などという世界でも、最も新しい方式を備えております。現在の段階では、本文の表示とともに、日本語版ウィキペディアが内蔵する867,000項目の中からページごとに、関連するデータを瞬時に抽出・表示する事が出来ますが、将来は各種百科事典、Googleマップなど他の資料も、順次この機能に加えてゆきたいものと願っております。

敬三自身はデジタル時代の幕開けの前に亡くなりましたが、このような電子的な情報開示の手法については、早くからその意味と必要を理解し、新しい技術の出現を待ち望んでいたと思われますので、『渋沢栄一伝記資料』のデジタル化と並んで、自らの著作のウェブ化については心から喜んでいる事と思います。

50年を記念する各種行事にお招きを頂きます度に、敬三が今も存命で、こうした展開を見守っているような錯覚に捕らわれる事がよくあります。本日も近藤先生とともに、民博の皆様のご厚意やご配慮に、敬三も心から感謝している事と思います。本当に有り難うございました。

2013年9月18日

(公益財団法人渋沢栄一記念財団理事長、一般財団法人MRAハウス理事)

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