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国立歴史民俗博物館
歴博映像祭「映像民俗学の先駆者たち : 渋沢敬三と宮本馨太郎」

掲載:2014年01月28日

ご挨拶 / 渋沢雅英


お招きに感謝しております。渋沢敬三の五十年忌を記念して多くの企画が行われている事を有り難く思っています。

宮本馨太郎先生は中学生の頃から存じ上げていました。インテリで、少し太めでしたが、ハイカラな方だと思って親近感を持っていました。またご自分の仕事に本気で打ち込んでおられるという印象を子供心に感じていました。先日、西東京のシンポジウムで宮本瑞夫先生のお話を伺い、当時の事を思い出しました。保谷の博物館が馨太郎先生の大事な職場であった事も懐かしく思い起こしました。

薩南十島の調査など、先生はアチック・ミューゼアムの仕事の最初から参加されていました。南朝鮮の達里での農村衛生の調査にも参加されました。そこで先生が収集された民具が今は国立民族学博物館に所蔵され、韓国でも高く評価され居る事を韓国での記念式の際に詳しく伺い、有り難く思いました。

敬三が生物学への思いを断ち切って、祖父・渋沢栄一の懇望を容れて財界人となった事はよく知られています。銀行の仕事は好きではなかったと言ってはいますが、責任感をもって誠実に務めた事も事実だったようです。昨年の秋、武田晴人先生により「戦時戦後史の立会人 渋沢敬三」というセミナーがありました。たしかに仕掛人ではなかったかも知れませんが立会人と言うよりはもう少し本気で取り組んでいたという感じを持ちました。

一方、学問文化の世界でも自由で大きな発想をもってに自己実現に邁進しておりました。いわゆる学者ではありませんでしたが、その成果は驚くべき広がりと厚みと将来性を持っていました。『渋沢栄一伝記資料』、民具の収集分析、魚名の研究、漁民資料の収集と分析。先日の渋沢研究会第192回例会で、由井常彦先生から「日本の漁業史は敬三によって生まれた」というコメントをいただきました。

『絵巻物による日本常民生活絵引』など画期的な仕事もありました。どれも大型のプロジェクトで沢山の人手と時間がかかりました。そのため多くの仕事が生前には完結せず、死後何年何十年経ってようやく実現する事になりました。

日本の文化の将来のために必要な事は何でもしておこうという強い信念が、敬三の人生には躍動していたように思われます。そうした発想は、この国の発展と繁栄にすべてをかけた祖父・栄一の人生を受け継いだものなのかも知れません。したがって、財界での活動と文化的な事業との間には矛盾や葛藤はなかったようです。

五十年忌の準備の一環として、渋沢史料館では、大正末期から1963(昭和38)年に亡くなるまでの40年を超える手帳の読み込みを行いました。そこから浮かんできた敬三の人生からは、多忙で複雑ですが、独特の統一があった事が見えてきました。二つの違った分野の仕事をしていたことによる二重性は、一般的な理解を超えていて、尊敬はされても、理解されなかった部分が多かったように思われます。財界人、文化人という二人の敬三を総合した評伝がないのはそのためかも知れません

その一方で敬三は、自己本位の要求が不思議なほど少ない人でした。息子である私の人生への期待や要求もほとんど見せませんでした。ある意味でそれは物足りない事でしたが、反面で自分で生きる決心をさせてくれました。MRAという一風変わった仕事を通じ、日本の社会構造の外で生きる事を可能にしてもくれました。

他人への支援にはきわめて寛容でした。左手の仕事を右手に知らせないというのは、河岡武春氏の言葉です。私の仕事にも驚くほどの援助をしてくれましたが、俺がしてやったという顔は勿論、意識さえもまったくなかったようです。それは敬三のすべての活動に共通するパターンでした。

それがどこから来たのか?いつも疑問に思ってきました。国の将来にすべてをかけようとした祖父・栄一の影響?栄一の懇願を受け入れたときの「自分の人生は自分の物ではない」という決意?それとも、生まれ付きの性格?富裕な家に生まれたから?それはないだろうと思われます。

五十年忌を契機に、これからそうした問題を考えたいと思っていますが、目の前にある結果としては、生前支援をした人や団体から、信じられないほどの親身な感謝を頂きました。非常に多彩で多面的な記念事業が可能となっ理由もそこにありました。

国立民族学博物館の展示や『渋沢敬三著作集』のデジタル化等、今も敬三が生き続けているという感じがあります。先月渋沢史料館では「花祭」の公演がありました。奥三河の人々の中に脈々と伝えられてきた80年の記憶がよみがえりました。先祖代々を通じて語り継がれてきた敬三への深い愛情と親近感が、あの華やかな公演を可能としました。

そのような敬三の仕事を記念する今回の企画にお招きを頂き本当に感謝しております。ご挨拶と言う事でしたのに勝手な思いこみをお話しした失礼をお許し頂きたいと思います。そしてこの企画が、盛助先生、馨太郎先生、そして瑞夫先生という宮本家代々のお仕事の今後のご発展をお祈りして、お礼に代えたいと思います。

2013年11月17日

(公益財団法人渋沢栄一記念財団理事長、一般財団法人MRAハウス理事)

リンク

歴博映像祭 「映像民俗学の先駆者たち:渋沢敬三と宮本馨太郎」
〔国立歴史民俗博物館〕
http://www.rekihaku.ac.jp/events/forum/eizou.html

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