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日銀総裁・渋沢敬三の肖像画 / 武田晴人
小絲源太郎「第16代日銀総裁渋沢敬三」 |
渋沢敬三の姿を写した記録は、意外に乏しい。祖父・渋沢栄一については常盤橋公園の銅像(後述)をはじめ、幾つかの姿が残っているが、敬三については写真は兎も角、映像などの若干の記録が残るに過ぎない。その敬三の姿を描いた、唯一とも言える肖像画がある。
日本銀行では、初代吉原重俊総裁から第26代三重野康総裁まで歴代総裁の肖像画を作成していた。その中に第16代総裁であった渋沢敬三の肖像画もある。
歴代の総裁の中で、渋沢敬三の肖像画は異彩を放っている。その理由は、他の肖像画はすべて総裁の椅子に座って威厳に満ちた表情の姿を描いているのに対して、渋沢総裁のそれは、屋外での立ち姿を描いているからである。戦争の末期から敗戦直後までその職に在った渋沢敬三は、肖像を描くに際して、彼の在任の時代を残すために戦災で荒野となった東京を背景にすることを選んだという。
場所は特定できないが、日本銀行本店本館の正面入り口の上に設けられたバルコニー部の手すりのかたちが、肖像画の敬三の直ぐ後ろの造作と一致することから、この建物の2階バルコニーが敬三の立っていた場所ではなかったかと思われる。正面入り口の直ぐ上であれば、その中は総裁室に続いているから、まんざら的外れではないだろう。そうだとすると、方向から行って敬三の背景にあるのは、日本橋の風景ということになるが、大きな建物もなく、焼け野原だったようである。
とはいっても戦争・戦災という暗いイメージとは裏腹に、その肖像画は全体してみると明るい。朝焼け空とみられる背景の描き方や敬三の姿は、絵画に詳しくない者でも印象派の作風を思い起こさせるタッチでまとめられている。もっとも、薄暗い廊下のためか、実際の画を見てもそれほどの明るさは感じられないかもしれない。改めて写真で確認して、その明るさに驚くというのが、この肖像画を直接見たことのある人が抱く正直な感想だろう。
描いたのは小絲源太郎(こいと・げんたろう、1887-1978)。1887(明治20)年に東京市下谷区(現東京都台東区)に生まれた洋画家であった。渋沢敬三より9歳年長になる。肖像画の描き手がどのように選ばれるかは寡聞にして知らないが、同じように東京の下町の雰囲気を知っているという意味で、両者は相通ずるものがあったのかもしれない。小絲は、東京美術学校在学中の1910(明治43)年、23歳で文部省美術展覧会(文展)に入選し、1930(昭和5)年から2年連続して帝国美術院展覧会(帝展)で特選になり、1933(昭和8)年には帝室審査員に就任している。その後、金沢美術工芸大学教授、東京芸術大学教授を務めたという。経歴からいえばすでに日本を代表する洋画家の一人となっていたといってよいだろう。
小絲に関わる紹介の文章の中には、「最初は印象主義でありましたが、暗い細密描写に変わって静物画を中心に描いていました」という(古美術商八光堂のHPによる)。このように小絲の作風は印象派で一貫していたわけではない。だから、この肖像画の特徴的な描き方は、光と色彩を追求した印象派の作品に近いものを、と渋沢敬三が希望したものではないだろうか。
朝焼けの明るさは敗戦後日本の未来へのメッセージとなっている。戦争と敗戦の衝撃の中で、それでもなお日本の復興に期待をかける渋沢敬三の心意気と、戦争の時代の惨禍を忘れまいとする誠実さとが、この絵にこめられているのである。それが、この肖像画を印象深いものにしている。
そこには、民俗学者として民衆生活の日常に関心を持っていた、庶民的な人柄がにじみ出ている。総裁室の椅子に座って日銀総裁の威厳を示す肖像画を残すことは、渋沢敬三には考えられなかったに違いない。日本銀行総裁としての公職に誠実に向き合いながら、その地位にあったことを記録に残す肖像画を描く時に、総裁室を出た敬三の心持ちは、その表情の柔らかさや、その視線の優しさを通して、この作品に見事に描き込まれている。
もし機会があったら、日本銀行の本店を見学するとよい(*)。敬三が執務していた当時の様子を窺い知ることができる。また、本店向かいの別館にある貨幣博物館にも立ち寄るとよいだろう。この博物館は1985(昭和60)年に設立されたものだが、その基礎となったのは、「銭幣館(せんぺいかん)」コレクションというものである。それは、古貨幣の収集家・研究家として知られていた田中啓文(たなか・けいぶん、1884-1956)氏が1923(大正12)年に設立した「銭幣館」に収集されていたもので、戦局の悪化とともに空襲による被災の虞れが生じたことから、1944(昭和19)年に日本銀行に寄贈された。このコレクションを受け取ったのが、当時の日本銀行総裁渋沢敬三であった。文化財への関心の高かった渋沢敬三にとって、このような場面に居合わせたことは、大きな喜びであったに違いない。
蛇足ながら、日本銀行本店本館を右に貨幣博物館を左に見て、正面の常盤橋をわたると、右手に小さな園地(常盤橋公園)がある。そこには、冒頭で触れた、渋沢敬三の祖父栄一の大きな銅像が、ちょうど敬三ゆかりの日本銀行と貨幣博物館を横に見るようなかたちで立っているのを見ることができる。
(*) 見学・ビデオ貸出サービス :日本銀行 Bank of Japan http://www.boj.or.jp/about/services/kengaku.htm/
文 : 武田晴人