【サイト更新】「渋沢敬三について」に「木内信胤氏追悼」を掲載
掲載:2014年10月21日
「渋沢敬三について」の「歴史の立会人として」に「木内信胤氏追悼」を掲載しました。
木内信胤氏追悼 / 渋沢雅英
http://shibusawakeizo.jp/about_keizo/about03_04.html
これは渋沢敬三のご長男である渋沢雅英氏により、2004年2月26日に工業倶楽部で行われたスピーチのための原稿として執筆されたものです。「渋沢敬三アーカイブ」での公開をご快諾いただいたことに対し、この場を借りて御礼申し上げます。
木内信胤(きうち・のぶたね、1899-1993)氏は敬三の妻・登喜子(ときこ、1902-1994)の兄で、三菱財閥の創始者である岩崎弥太郎(いわさき・やたろう、1835-1885)の孫にあたります。1925(大正14)年に横浜正金銀行に入行。終戦直後に敬三の要請で大蔵省に入り、その後は外国為替管理委員長、世界経済調査会理事長などを歴任しました。敬三の結婚記念として内幸町華族会館で撮影された写真の最後列左から3番目に写っているのが信胤氏です。
この追悼文には信胤氏の思い出だけではなく、敬三との関わり、木内家のこと、信胤氏の父・木内重四郎のことなどが回想されています。ご高覧いただければ幸いです。