関連イベント

国文学研究資料館 企画展示
「渋沢敬三からのメッセージ 渋沢栄一「青淵翁記念室」の復元×渋沢敬三の夢みた世界」 展示詳細 4

掲載:2013年12月06日

【この企画展示は終了いたしました。】


展示概要 | 開催要項 | ごあいさつ | リンク || 展示詳細

展示詳細 目次

1. イントロダクション : 渋沢敬三からのメッセージ
2. 渋沢栄一「青淵翁記念室」の復元
3. 渋沢敬三の夢みた世界
4. 夢のスカンセンミュージアム回遊
 4-1. こもれびの里と石井家の古文書と民具
 4-2. 玉川碑

4. 夢のスカンセンミュージアム回遊

1925(大正14)年夏、渋沢敬三29歳の時、横浜正金銀行でのロンドン支店勤務を終え、前年に初めて訪れたスウェーデン、ストックホルムのスカンセン野外博物館=オープンエアーミュージアム、オープンフィールドミュージアムでの強烈な印象、「日本にもスカンセンのような---」との思いを携えて帰国する。
 1896(明治29)年、建物を移築するだけではなく、当時の衣装を着た人を配置し、空間も用具もそろえた生活そのものを体験できる博物館が開館した。それがスカンセンミュージアムである。
 スカンセン野外博物館の記憶をよみがえらせた敬三は、1936(昭和11)年、日本民族博物館の設立を計画する。1937(昭和12)年、アチックミューゼアムの同人である高橋文太郎が、武蔵保谷(現:西東京市)の土地を日本民族学会に提供すると、敬三はさらに土地を購入し、今和次郎に設計を委ねて、武蔵野の民家などを移築した。
 今回の展示では、その夢を“回遊展示”構想として具体的に表現するため、国営昭和記念公園内のこもれびの里に移築された旧石井家住宅の展示や、立川市役所内の展示ブースと連携した現代版“回遊展示”も企画した。

「夢のスカンセンミュージアム回遊」展示風景


4-1. こもれびの里と石井家の古文書と民具

武蔵保谷の民族博物館は、残念ながら一部だけしか実現せずに終息する。その野外博物館への情熱は冷めることなく、大阪府豊中の日本民家集落博物館へと引き継がれる。さらに川崎市立民家園、明治村と着実に増えていった。
 その一つにあげられるのが、昭和記念公園内にある「こもれびの里」ともいえる。昭和30年代の武蔵野の農家のくらしを今に再現する博物館である。東京都狛江市の石井家から移築された住宅を展示し、「昭和・武蔵野・農業」をテーマに、田畑を耕して年中行事を再現し、現代を生きる私たちに、当時の暮らしの知恵を教えている。
 「こもれびの里」の中核をなす施設は、東京都狛江市から移築された旧石井家住宅である。石井家は、江戸時代の18世紀後半から幕末まで、和泉村(現:東京都狛江市)の旗本松下領の名主を務めた家である。
 このコーナーでは、渋沢栄一と深く関わる玉川碑と石井家当主扇吉との縁をひもときながら、古文書の中の村の暮らしをお読みいただいた。

こもれびの里と石井家の古文書と民具


4-2. 玉川碑

狛江市中和泉4丁目14番にある万葉歌碑(玉川碑)は、1924(大正13)年に再建されたもので、当初は市内猪方4丁目辺りの多摩川のほとりに建てられた。
 最初の歌碑は、1805(文化2)年(近年では、1817(文化14)年の建立とする説もある)に、猪方村(現在の狛江市猪方)の名主重八宅に身を寄せ、習字の手習師匠をしていた元土浦藩士である平井有三が、石碑を建てることを思い立ち、江戸の知り合いなどに寄付をつのり、猪方村内の多摩川堤防のほとりに歌碑を建立した。碑文は白河藩主松平定信が万葉集の一首を揮毫し、碑陰記は白河藩の儒者広瀬典の撰文、同藩の大塚桂の書になる。
 歌碑に刻まれた歌は、万葉集巻十四にあるものである。
  「多摩川に曝す手作りさらさらに何そこの児のここだ愛しき」
 最初に建てられた歌碑は、その後、1829(文政12)年の多摩川の洪水により流失し、行方知れずとなってしまい、建てられた場所や歌碑の形、大きさは不明のままである。その後、1922(大正11)年に至り、松平定信を敬慕していた三重県人の羽場順承は、旧桑名藩士から歌碑の拓本(復刻)を入手し、歌碑がすでに流失していることを知り、その再建を計画、同じく松平定信に私淑する実業家の渋沢栄一に協力を依頼した。

玉川碑の再建

流失した歌碑の拓本を入手した羽場順承は、早速、碑が建てられていた狛江村の猪方を訪ねた。狛江では、玉川碑の発掘等も行われたようであるが結局、碑は発見されなかった。
 そこで、東京府に玉川碑の史蹟名勝保存の指定を申請、再建の企画を練り、渋沢栄一に援助を求め、地元狛江村に玉川史蹟猶興会を設立し、再建に向けて動き出した。渋沢栄一は同会の顧問となり、1922(大正11)年9月に地元で講演会が行われた際には、「玉川碑と白河楽翁公」と題した講演を行っている。翌1923(大正12)年には再建の募金が開始され、8月頃には現在地にほぼ完成し、除幕式を予定していたが、9月1日の関東大震災により、歌碑が倒れたため延期となり、1924(大正13)年4月13日に除幕式に至った。
 再建された歌碑には、正面に松平定信書の旧碑の拓本を模刻、背面には旧碑の碑陰記と渋沢栄一の撰文・書になる新しい碑陰記などが刻まれている。

玉川碑


むすびにかえて

ご多忙のところ、多数のご来場ありがとうございました。
 この展示にあたり、大変多くの方々にご支援 ご協力をたまわりました。ここにあらためて御礼申し上げます。

むすびにかえて



PAGE TOP