語られた渋沢敬三

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倉場氏魚譜(グラバー図譜)長崎へ帰る : 渋沢敬三の長崎魚への想い / 森望

掲載:2015年05月22日


渋沢敬三が長崎を訪れたのは、戦前とはいえ太平洋戦争への足音がかすかに聞こえ始めた1941(昭和16)年5月の半ばだった。渋沢は当時、第一銀行副頭取となり九州の支店視察の用務の合間をぬって念願の長崎入りを所望した。渋沢は、その数年前から「日本魚名集覧」という日本中の魚の名前の解説本の執筆を進めていたが、日本で最初に蒸気船トロール漁法を導入した英国人トーマス・グラバー氏の次男で日本に帰化した倉場富三郎(Thomas Albert Glover, 1871.01.28-1945.08.26)が明治末期から大正そして昭和にかけて長崎で水揚げされる魚の精密な図譜を作っていたことを伝え聞いていた。若いころ動物学者になりたいと思っていた渋沢敬三にしてみれば、銀行の要職にあってもその魚譜への興味は図り知れないものがあったろう。渋沢は旧知の神鞭常泰支店長に倉場氏へ魚譜拝見の交渉を依頼していた。倉場富三郎としても渋沢敬三のような立場の人がわざわざその魚譜を見たいといって訪ねてこられるのはこの上なく栄誉のことと思ったにちがいない。

渋沢は熊本から三角を経て天草の富岡で九大の臨海実験所を視察した。その後、船で茂木へ渡り、茂木街道を北上し田上峠を越えて長崎入りした。倉場氏の邸宅、いわゆるグラバー邸は今日では長崎の観光名所のグラバー園内にあるが、当時からその場所にあった。田上の峠を下ってほどなく、その日の昼過ぎには一行はそのグラバー邸に到着した。 渋沢敬三は、その日の午後1時半ころから5時ころまで、このグラバー邸の応接間の書棚から大きな図譜を閲覧していった。この魚譜は、今では通称「グラバー図譜」とよばれるが、正式名称は「日本西部及び南部魚類図譜」というもので、英国製のケント紙に彩色された800種類ほどの魚類、甲殻類等の図譜で、全体で34巻に分類されてあった。渋沢はその一枚一枚を丁寧に見ていった。

その一枚一枚は倉場富三郎が20年以上にもわたって5人の絵師を雇って描かせたものだった。渋沢はそれをひとつひとつ丁寧に見ていきながら、「画家とはいえその方面の素人に、科学的な魚譜作図を訓練習得せしめた倉場さんの努力は並大抵のことではあるまい」と回想している。渋沢の興味は絵だけではなく、むしろ魚の名前にあったと思われる。各図譜に記された学名は倉場氏自身が見定めて決定していたが、疑問のあるものには「?」が付け加えられていた。また、その地方の魚方言もかなりの数、克明に記録されていたことを渋沢は「殊に嬉しかった」と書いている。ただ単に、魚の絵の美しさをみるだけでなく、魚学としてあるいは民俗学の一部として命名と形態の確認を怠らなかったものと思われる。

このような魚類図譜は日本にはそう多く残されていない。この倉場氏魚譜(グラバー図譜)は、江戸末期のシーボルトの図譜(日本動物誌)、幕末期の紀州の本草学者粟本丹洲の「粟本氏魚譜」、昭和になって編纂された日本水産研究所の「熊田氏魚譜」と並んで『日本4大魚譜』のひとつといえる、それだけ良質の魚譜であると渋沢は考えていた。

渋沢敬三は、その後、1942(昭和17)年に日本銀行の副総裁、1944(昭和19)年の春には総裁となった。そんな時に倉場富三郎が死去し、その遺言に「魚譜は渋沢氏に遺贈したい」旨の記載があった。倉場富三郎にしてみれば、あの日熱心に図譜の一枚一枚を丁寧に観察され、魚名も逐一確認し、魚についてのこの上なく熱心なまなざしをその魚譜の上に残してくれた渋沢氏にこそこの魚譜を委ねたいと、そう思ったことは想像に難くない。

しかし、渋沢敬三はその後、このような価値のある図譜は水産庁の関連研究所や大学の水産学部などで活用されるべきと考え、「結局これは倉場さんが一生おられかつ愛しておられた長崎市にこの魚譜を永久に残すのが、同氏の素志にも合致するであろうし、自分としても何だか安心」と判断された。戦後、1950(昭和25)年の夏に渋沢らが長崎県の対馬の調査に入ったあと、長崎市を訪れ、当時の田中教育長や高瀬長崎大学学長らとの懇談の中で、この「倉場氏魚譜」(グラバー図譜)を長崎大学の水産学部に託す、ただし、是非長崎市内に所蔵されるように、と倉場氏の生きた「長崎」への厚い想いから、現在この魚譜は長崎大学の文教キャンパスにある附属図書館の貴重資料室に保管されている。

この図譜は出版もされており、またデータベース化されてだれもが自由に閲覧できるようにもなっている。今回、デジタル版『渋沢敬三著作集』とリンクする形で、この「倉場氏魚譜(グラバー図譜)」が全国的にも利用しやすい形で提示されるのは有り難いことと思う。渋沢敬三氏の長崎への温かい思いやりの心に今改めて感謝するとともに、渋沢敬三記念事業実行委員会の配慮にも感謝申し上げたい。

(以上は渋沢敬三氏の手記「倉場氏魚譜が再び長崎市に戻る経緯」を参考に記したものです)


文:森望(前・長崎大学附属図書館長)

モンガラカワハギ(めがねはぎ)
モンガラカワハギ(めがねはぎ)
(長崎大学附属図書館所蔵)


リンク

日本西部及び南部魚類図譜 [ グラバー図譜 ]
〔長崎大学附属図書館〕
http://oldphoto.lb.nagasaki-u.ac.jp/gloveratlas/

【サイト更新】「eReadeing」のサイドノートにおける長崎大学附属図書館「WEB版グラバー図譜」テスト公開(β版)のお知らせ
〔お知らせ | 渋沢敬三アーカイブ〕
http://shibusawakeizo.jp/news/news092.html

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