語られた渋沢敬三

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『日本魚名集覧』解題 / 河岡武春

『渋沢敬三. 上』(渋沢敬三伝記編纂刊行会, 1979.09) p.213-216掲載

日本魚名集覧 第一部 A5・四九〇頁 アチック・ミューゼアム 昭17・3刊
同 第二部 A5・三五八頁 日本常民文化研究所 昭19・10刊
同 魚名に関する若干の考察 第三部 A5・三二九頁 日本常民文化研究所 昭18・2刊

 この書物を解説するにあたって、一つのエピソードの紹介から始めたい。それは終戦後食料事情のわるかった折のことである。宮中においても同様である日、昔では見られぬ雑魚が食膳にのぼった。著者の従兄の穂積重遠が皇太子殿下の傅育官時代のこと、彼の話に「今日宮中でお食事の時変んな魚が出た。が、その方言名しかわからぬが何だろうということになった。すると陛下が渋沢の魚名集覧を見ようと仰言って、御文庫から取り寄せられてお調べになってわかった。君も妙な本を作ったもんだ」と再版の跋文にある。渋沢はこの本は献上したことはないので、何時かどこからかお求めになったと思ひ、光栄にも感じまた恐縮もしたと書いている。

 本書編纂の動機は、日本の漁業史を扱う上の手がかりとして、三つのテーマを渋沢は考えた。その一つは魚名ことに魚方言が古文書解読に役立つこと、他の一つは漁人伝で多くの概ね名もない漁民の事績を集成して手がかりとしようとした。その数二四五九人を集めたものが『日本漁民事績略』(昭30・6)である。残りの一つは漁具の調査研究で、指標漁具として原始漁具ともいうべきウケ(筌)が選ばれたが、これは未だまとまっていない。さて、本書によって集成された魚名の和学名は一、一一三〇弱、魚方言一一、八六八、参考魚名(紀記万葉以下、わが国の古文献に記録されたもののうち魚種認定の確実と思われるもの)三、八二二が採録された。

 角川版『日本魚名の研究』(考察篇の改版、昭34・10)はつぎのような書出しで始められている。

 生物の一つである魚類の存在は自然現象である。これに反し魚名は人と魚との交渉の結果成立した社会的所産である。名の実体たる魚類を基準として魚名を研究する時、自然的所産である魚類は常にコンスタントであるに反し、社会的所産である魚名は時と所と人とにより多くの場合複雑なる変化を示す。

 日本民族は魚食民族である。ヨーロッパたとえば四面環海のイギリス人は、タラ・カレイ・ニシンなと数種を食べるにすぎない。日本人は魚だけでなく、海草もホヤのやうな海鞘類まで嗜好する。それに淡水魚もある。このことは日本民族の海洋的性格ひいては民族の形成までかかわる重要な問題である。

 渋沢は雅号祭魚洞からもわかるように、魚とのかかわりは幼少時からで、昔から釣が好きであり、また中学時分から生物学に興味をもち、生物学者たることを志していた。しかしそれは協えられなかったが、そうした関心がなくなることはなく、本書などは歴史学や民俗学だけの知識だけでなく、魚類学の素養もなければ成立しえない業績であることは云うまでないであろう。

 それかあらぬか「魚名を集めている内に、この魚も釣ったことがある。あの魚を見たことがあると気付いて見ると、深海魚や稀見其他お目にかからぬものが数多いとしても、我乍ら素人としては案外に旧知の間柄の魚の種類も多」かった。「従って単なる魚方言の採録とは異った面白さを味ひ楽しみつつ」遂に一通りの集成が出来てしまった。

 この仕事のはじめは昭和十一年の半ばからで、最初は手近の用紙でボツボツ手がけていたが、このままでは整理がつかぬと考え特別の原稿用紙を印刷した。そして、ジョルダン、スナイダー田中茂穂著『帝大紀要日本産魚類目録』を土台として、改めて昭和十二年一月元旦から、週日は毎日第一銀行へ本式に出勤前の午前六時半から八時半まで、約二ヵ年余かかった。「よく続いたと思うくらい熱中した」と云っているから、この人文科学と自然科学の結合を要する、渋沢に合ったテーマであったということができる。そして、彼の原稿をカードにとり、配列をし本原稿に整理し、読み合せから校正までをアチックミューゼアムの同人たちが手をかしてやった。第一部の出版は十七年三月である。

 『魚名に関する若干の考察』は、魚名を集めながら気づいたことを、夜、勤めから帰って同人たちと議論しあった覚書ないし手記を整理したもので、出版は十八年二月である。さらに索引編(第二部)の刊行は、敗戦の色濃い十九年十月である。――その間、渋沢は第一銀行常務をへて、十六年十二月副頭取、十七年一月日本銀行副総裁、十九年三月同総裁となっていた。

 本書の特色の一つは、魚名の集成を筆者自らが全部採録し、ほとんど私見を加えず原本に拠っており、大部分が魚類学者、水産学者の手になる引用書目をすべて番号を附して明らかにしている。この点が科学者・天皇の信頼を得ていたのであり、魚類学者もその成果を賞讃していたのを聞いたことがある。そうした中で、方言学者の採集になる大部分の研究資料は、魚種の認定が困難な場合が多く、ほとんど全部割愛しなければならなかった。魚名にかぎらず、民俗語彙による研究にはこうした問題が内在していると思われ、民具と民具名称について、アイデンティフィケーションがなされていないと学術資料なりえない。

 さいごに方言学者による本書の批評をかかげたい。民俗学研究上の方言研究の金字塔として、方言周圏論をうちたてた柳田国男の『蝸牛考』(昭5)がある。それは「新語が発生すると、同一事象を表現した古語がその周辺におしやられ、その過程がくりかえされるうちに、古語の層が新語発生の中心地の周辺にだんだん輪のように形成せられ、外層のものほど古い発生のものである」という理論である。

 金田一春彦は、本書を日本方言学上の名著とし、その理由をつぎのごとく述べている。

 渋沢先生の『日本魚名集覧』は、日本方言学上の名著である。方言学の名著というと、柳田先生の『蝸牛考』が、方言周圏論と結びついてその名が高いが、論述が本格的な点では、『日本魚名集覧』に収められた『日本魚名の研究』(魚名に関する若干の考察の改版―註)に一日の長がある。よく言語学の素人が語源の研究に志すが、そういう研究がいかに難しいものかを戒めるものとして、この中のエチオピアとナオマツの考察がお手本、玄人好みの労作である。そういう人の集めたものであるから資料編の出来はすばらしい。再版に掲げられた反省の辞句など、真に学問するものの学ぶべき態度である。 (河岡武春)

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